大判例

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東京高等裁判所 平成6年(ラ)886号 決定

抗告人

日本トータルファイナンス株式会社

右代表者代表取締役

矢野善和

右代理人弁護士

庭山正一郎

須藤修

毛受久

田村恵子

遠山康

三森仁

上床竜司

相手方(債務者兼所有者)

泰斗建設株式会社

右代表者代表取締役

黄川田孝

主文

原競売裁判所が平成六年七月一九日になした競売手続を取り消す旨の決定を取り消す。

理由

一  抗告人は主文同旨の裁判を求め、その理由とするところは別紙「執行抗告の理由書」(写)記載のとおりである。

二  一件記録によると、原競売裁判所は、抗告人の申立てにより、平成三年一二月二六日、右理由書添付物件目録1、2の本件各土地について、平成元年五月一八日設定、同日登記の根抵当権に基づき競売開始決定をなし、平成四年五月一日、右各土地の一括売却による最低売却価額を九〇〇二万円と定めたうえ、同五年三月二六日、二度目の売却実施命令をなしたこと、その後、株式会社吉原組(以下「吉原組」という。)から、原競売裁判所に対し、本件各土地については、同社が債務者兼本件各土地所有者である泰斗建設株式会社(以下「泰斗建設」という。)から、右各土地上に「(仮称)泰斗日本堤ビル」の建築工事を請負っており、既に右各土地の引渡しを受けて工事に着手したが、その後これが中断しているものであり、吉原組は、右請負代金の支払いを確保するため、留置権に基づいて本件各土地を占有しているものである旨の上申がなされたこと、泰斗建設と吉原組の間には、平成四年七月三日作成の債務弁済契約公正証書が作成されており、それによれば、泰斗建設が、吉原組に対し、同年六月二五日現在、前記建築工事請負契約等に基づく請負代金八七九〇万円余と違約金の合計一億一〇二三万三八六八円の債務を負担することとされていること、原競売裁判所は、平成六年六月一三日付で、吉原組は、右請負代金及び予想代金納付日までの遅延損害金の合計一億九〇〇六万円の債権について本件各土地に対して留置権を有するとし、これが前記の最低売却価額を上回るため、最低売却価額は〇円となり、したがって手続き費用及び差押債権に優先する債権一六三万円を弁済して剰余を生じる見込みがないとして、その旨の民事執行法一八八条、六三条一項による通知をなしたうえ、同年七月一九日、原競売手続を取り消す旨の決定をしたこと、これらの経過が認められる。

三  しかしながら、当裁判所は、本件各土地について吉原組の留置権は発生せず、したがって、剰余を生ずる見込みがないとして競売手続を取り消すことはできないものと考える。

記録によれば、吉原組と泰斗建設の間に平成二年八月二四日、本件各土地上に「(仮称)泰斗日本堤ビル」を新築するための建築工事請負契約が締結され、吉原組は、同年一二月ころ基礎工事に着工したこと、平成三年三月、右工事は泰斗建設側の事情により、シートパイルの土留杭打設完了段階で中断することが合意され、その時点での出来高から既払額を控除した請負代金残額が八四三〇万円余であることが双方間で確認され、なお吉原組において本件各土地を板囲いで囲って、現場の現状維持等の確保をすることとされ、板囲いに同社の社名を表示した看板が掲げられたこと、その後、工事は再開されることなく、平成四年三月一〇日執行官が実施した現況調査の時点においても、本件各土地上に建物は存在しなかったし、それ以後も本件各土地は空き地の状態となっていること(なお、前記の看板は、現況調査の時点では既に存在しなかったが、その後再度設置された。)、そしてその後同年七月三日、吉原組と泰斗建設の間で前記のとおりの公正証書が作成されたこと、これらの経過が認められる。

右の事実関係のもとで、吉原組は右公正証書記載の請負契約残代金及び遅延損害金債権につき、本件各土地に商事留置権が発生する旨主張するのである。しかしながら、前記の事実関係によれば、吉原組が本件各土地を板囲いで囲い、看板を掲げるなどしたとの経過を考慮にいれても、なお同社が本件各土地について占有を有するものと認めうるか疑問であるのみならず、仮にこれを肯定するとしても、建物の建築工事を請け負った者がその敷地を使用する権原は、別段の約定が交わされない限りは、右建築工事施工のために必要な敷地の利用を限度とするのが契約当事者間の合理的な意思に沿うものと解すべきであって、本件において、これと異なる別段の約定は認めがたいから、吉原組の本件土地の使用権原も右を限度とするものと解すべきであるところ、右のような建築工事の施工という限られた目的のための占有をもって、未だ基礎工事の中途段階で建物の存在しない状況にある敷地について、建物建築請負代金のための留置権成立の根拠とするのは、契約当事者の通常の意思と合致せず、債権者の保護に偏するものというべきであって、必ずしも公平に適わないといわなければならない。また、吉原組と泰斗建設との建築工事請負契約は、抗告人の本件根抵当権設定登記後に締結され、これに基づき右占有が開始されたものであるから、吉原組は右占有の権原を抗告人に主張することはできず、したがって、抗告人との関係では、右占有は不法占有と解すべきであるから、この点からも、本件競売手続において、吉原組は商事留置権を主張することはできないものと解すべきである。

四  そうすると、本件各土地について吉原組に留置権が成立することを前提とし、剰余を生じる見込みがないとした原決定は相当でなく、留置権の主張が認められないとすれば、剰余を生じる見込みがないとはいえないことが明らかである。

五  よって、原競売手続取消決定を取り消すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 町田顯 裁判官 髙柳輝雄 裁判官 中村直文)

抗告の理由

第一 原決定の法令解釈における誤謬

原決定は、別紙物件目録記載1の土地(以下、本件土地1という。)及び同2の土地(以下、本件土地2という。)につき、①株式会社吉原組(以下、吉原組という。)が主張する留置権の成立を認め、かつ、②当該留置権が買受人による引受となることを理由として、本件土地1及び同2の最低競売価額を金〇円と判断し、本件土地1及び同2に対する競売の手続を無剰余を理由に取り消した。

しかし、以下に述べるとおり、建物建築請負人のためには、その建築する建物の敷地について商人間の留置権(商法第五二一条)は成立せず、仮に商人間の留置権が成立するとしても、少なくとも民事執行法五九条四項の適用はなく、右商人間の留置権は買受人に引受されないと解釈すべきであって、上記の原決定の判断は明らかに商法五二一条及び民事執行法第五九条四項の解釈を誤ったものであり、取り消しを免れない。

第二 建物建築請負人のためにはその建築する建物の敷地について商人間の留置権(商法第五二一条)は成立しないこと

一 法定地上権が成立しないために収去を免れない建物について、その敷地に関し商事留置権の成立を認めることは法の趣旨に反する。

債権者は債務者に融資する金一億円の貸付債権を担保するため本件土地1及び同2に根抵当権の設定を受けた(以下、この根抵当権を本件根抵当権という。)。その際、債権者は本件土地1及び同2を更地として担保評価して根抵当権の設定を受け、債務者もこれを了承していた。したがって、本件で吉原組が建築途中の建物(以下、本建物という。)については、本件土地1及び同2上に対し法定地上権が成立する余地はない。このように、本建物については、法定地上権が成立しないため、その敷地たる本件土地1及び同2が抵当権実行によって売却された場合、買受人による収去を拒みえない。したがって、吉原組が本建物について有することに争いのない本建物そのものを留置することを内容とする留置権は、本建物の所有権そのものが本件土地1および同2の買受人に対抗しえない以上、本建物に関する制限物権としての性質に照らし、前記買受人に対抗しえない。

このように吉原組が本建物について有する留置権は、敷地に対し抵当権を設定している者との関係では保護されないことが明らかであるにも拘らず、その吉原組に対し本建物ではないその敷地まで留置する権利を認めることは著しく均衡を失するというべきである。

1 法定地上権の不成立

① まず本件土地2についていえば、債権者が本件土地2に根抵当権を設定した平成元年五月一八日には、既に本件土地2上に建築されていた別紙物件目録記載4の建物(以下、旧建物4という。)が取毀されており(別添資料1「閉鎖登記簿謄本」の表題部・原因及びその日付の項の二行目の記載)、本件土地2は更地であった。それ故、債権者は債務者から本件土地2について更地に関する念書を徴求している(別添の資料2)。

ところで、債権者は旧建物4についても共同担保として根抵当権の設定を受けて登記を経由しているが、その理由は、平成元年五月一八日当時既に旧建物4は取毀されていたものの、滅失登記が未了であったため、債権者として念のため設定を受けたにすぎない。

このように、本件土地2に根抵当権を設定した平成元年五月一八日当時には、本件土地2上には建物は存在せず、且、本件土地2上において建物建築工事が既に開始されていたという特殊事情も在しない以上、債権者が本件土地2を更地として評価したことは明らかであって、吉原組が建築途中の建物のために本件土地2上に法定地上権は成立しない。

② 次に、本件土地1についても、その上の別紙物件目録記載3の建物(以下、旧建物3という。)は平成元年五月一八日当時既に取毀し予定であったことから、債権者としては本件土地1を更地として担保評価して融資を行ったというのが現状である。しかも、債権者は、平成元年五月一八日、本件土地1及び旧建物3について順位1番の共同根抵当権の設定を受けており(別添資料3)、債権者が本件土地1の交換価値全体を把握していたことは明らかであるから(淺生重機・今井隆一著・建物の建替えと法定地上権・金融法務事情一三二六号六頁〜)、本件土地1についても、吉原組が建築途中の建物のために法定地上権は成立しない。

2 以上述べたとおり、債権者が本件土地1及び同2の交換価値全体を順位1番の根抵当権により把握し、かつ、両土地の交換価値全体から債権を回収できるものと期待して債務者に金一億円を融資したことは明らかである。そして、この担保評価についての根抵当権者たる債権者の期待は正当に保護されなければならない。それ故、法は、本件のような場合において、吉原組が建築途中の建物のために本件土地上に法定地上権の成立を認めないのである。すなわち、本来、土地をどのように使用するのかについてはその土地の所有者の自由であり、土地所有者の使用に関しては、当該土地について抵当権の設定を受けている抵当権者であっても何ら干渉できない。しかし、いざ抵当権が実行され買受人が現れるに至ったときには、抵当権者が当該土地を更地として評価して抵当権の設定を受けている場合、法は、土地所有者が当該土地上に建築した建物のためには法定地上権の成立を認めず、当該建物の買受人による建物収去請求を許容するのである。なぜなら、抵当権者が当該土地を更地として評価して抵当権の設定を受けた以上、当該土地の更地価格における回収を抵当権者に保証しなければ、抵当権者が余りにも害され、抵当権の制度が実効しなくなるからである。判例も、民法三八八条の適用について、「若し……抵当権設定後ニ於テ所有者ガ抵当ト為シタル土地ノ上ニ建物ヲ建設シタル場合ニモ其適用アリト解スルトキハ、土地ノ抵当権者ハ抵当権取得ノ際何等地上権ノ負担アルベキ事由ヲ有セザル完全ナル土地所有権ナリト為シ之ニ着眼シ之ヲ以テ抵当権ノ目的ト為スコトヲ甘受シタルモノナルニ拘ハラズ其ノ後ニ至リ其意思ニ反シテ所有者一己ノ行為ニヨリ抵当権ノ目的ガ物権ノ負担ヲ受ウクルノ結果ヲ来シ遂ニ意外ノ損失ヲ被ルニ至ルベシ」と判示し(大判大四年七月一日民録二一巻一三一三頁)、法定地上権制度の目的を、「抵当権設定当時既に土地と建物との間に存する潜在的利用関係を、土地抵当権者の予期を裏切らない限度において現実化し、利用権と価値権の間の調和を計るにある」(川添利起・昭和三六年度最高裁判所判例解説三六頁)としている。

3 以上で明らかなように本建物については法定地上権は成立しないのである。したがって、本建物は、その敷地である本件土地1及び2が抵当権実行に伴い売却された場合、これについて法定地上権が成立しない結果、買受人による建物収去を免れない。本来、請負人は、その建築した建物の所有権を取得し、あるいは、当該建物の新築工事前に登記をして不動産工事の先取特権を取得し、または、当該建物を留置するなどにより、その請負代金債権を担保することができるものである。

ところで、本件では、抵当権者の期待を保護するため法定地上権の成立が認められず、その結果、本建物について、請負人が、その所有権を有し、あるいは当該建物所有権に対する制限物権としての留置権を有していたとしても、それらの権利を敷地の買受人に対抗しえない。したがって、本建物の請負人は、その敷地に抵当権を設定している者との利益衡量に基づいて保護されないのである。にもかかわらず、当該建物建築請負人にその敷地までも留置する権利を認めることは、著しく均衡を失するというべきである。

したがって、本建物のために法定地上権が成立しない本件においては、吉原組のために本件土地1及び同2について商人間の留置権は成立しないと解すべきである。

二 権原に基づく占有の不存在

そもそも、建物の「請負人の占有権原は工事の施工のために必要な範囲に限定される特殊なものであり、それ以外の利用が認められているわけではない。したがって、工事施工以外の目的で占有権原を主張することは、留置権が公平の観点から当事者意思とは無関係に認められるものであるものの、あまりにも当事者の意思、とくに、債務者(注文者)の意思に反するものであり、逆に公平の観点から問題といわざるをえない。」(栗田哲男・建築請負における建物所有権の帰属をめぐる問題点・金融法務事情一三三三号一二頁の二)。

したがって、建物建築請負人は工事施工以外の目的で敷地の占有権原を主張することはできず、その結果、建物建築請負人には敷地に対する商事留置権は成立しないと解すべきであるが、このことは、抵当権者たる債権者の正当な期待を考慮すれば当然の帰結である。

よって、建物建築請負人である吉原組は、工事施工以外の目的で敷地の占有権原を主張することはできず、したがって、本件土地1及び同2については、商法第五二一条の商人間の留置権は成立しない。

三 商人間の留置権(商法五二一条本文)の立法趣旨

1 また、建物建築請負人に敷地についての商人間の留置権を認めることは、商人間の留置権(商法五二一条本文)の立法趣旨をも逸脱するものである。

そもそも、商人間の留置権は、明治三二年の現行商法制定に際して、「商人間に於て其双方の為め商行為に因りて商事たる債権に」留置権の被担保債権と留置目的物との牽連性の要件を要求することは、「結局当事者双方に対して実際上不便なるを免がれず殊に其債権が商業上最も迅速に運転せられるべき商品に関するものなる場合に於て其最も甚しきを見る」こと等が理由となって牽連性の要件が要求されていた旧商法に修正が加えられたものである(別添資料4「法典質疑会編・商法修正案参考書第二八三条」)。すなわち、「商取引においては、商人間の信用取引を確保することが必要であり、そのために流動する商品について個別的に担保権を設定・変更することは煩雑であって、商取引の迅速性の要請に応じ難く、また、取引に当って担保権の設定を要求するのは相手方に対する不信を表明することにもなるので、かかる不便・不利を避けて債権の担保を強化するために、民事留置権よりも広範囲に成立しうる強力な法定担保権が必要となる。そこで商法は、中世イタリアの商業都市における商慣習にその起源を有し、ドイツ旧商法及び新商法がこれを明文化した商人間の留置権にならって」(平出慶道・商行為法[第二版]一三八頁・青林書院)、牽連性の要件が不要とされたのである。

2 この現行商法制定に際しての制定理由に鑑みれば、商法五二一条にいう「物又ハ有価証券」の物とは、動産を指すのであって、不動産は含まれないと解すべきである。しかも、日本の現行商法の商人間の留置権に関する条項はドイツ旧商法及び新商法にならっているところ、ドイツ商法三六九条一項は留置目的物について「動産および有価証券」と規定して不動産は含まれないことを明示しており、かかる状況において、日本の現行商法制定の際には改正理由として不動産を含めること、あるいは、不動産を含める積極的理由は特にあげられていない以上、商法五二一条においても不動産は含まれていないと考えるのが合理的な法解釈である。

3 また、現行商法制定に際しての上記の制定理由に鑑みれば、少なくとも、商法五二一条の商人間の留置権は、「活動する商品について一々質権を設定変更する煩雑と担保請求により相手方に不信を表明する不利とを避け」(西原寛一・商行為法一三六頁・法律学全集)ることを目的としていたのであるから、建物を建築した請負人が、その建物ばかりでなく、その建物の敷地をも留置する場合は到底予定されていなかったというべきである。

4 以上よりすれば、商人間の留置権の目的物には不動産は含まれないから、吉原組のためには本件土地1及び同2について商人間の留置権は成立せず、少なくとも、商人間の留置権の立法趣旨よりすれば、建物建築請負人がその建築途中の建物の敷地を留置することまでは認められないというべきであるから、建物建築請負人である吉原組のためには本件土地1及び同2について商人間の留置権は成立しない。

四 抵当権の設定登記より後に設定された担保物権の保護

1 ところで、抵当権の設定登記より後に設定された担保物権が当該抵当権に優先する場合としては、不動産保存の先取特権及び不動産工事の先取特権が存するが(民法三三九条)、これらの先取特権が成立するためには厳格な要件が法定されていることに注意しなければならない。すなわち、不動産保存の先取特権については保存行為完了後直ちに登記を設定しなければならないし(民法三三七条)、不動産工事の先取特権については、工事を始めるまえに工事費用の予算額を登記しなければならない(民法三八八条)。

そればかりか、抵当権設定後の行為者を抵当権者よりも保護する理由として、「抵当権設定後に行なわれた不動産の保存行為は抵当権者の利益にもなるものであるから、いわば広義の共益費用優先原則の一適用ともみられ、また抵当権設定後に行なわれた工事による不動産の増加額について先取特権が優先しても、増価前の不動産を担保にとった抵当権者は理論上はなんら損害をこうむらない」(西原道雄・注釈民法(8)二二二頁)との実質的理由も要請されているのである。

2 そして、こと留置権に関していえば、民事留置権の場合には留置権の被担保債権と留置目的物との間に牽連性が要求されているため(民法二九五条一項本文)、留置権の被担保債権は、まさに留置目的物に関して生じた債権であるが故に留置目的物の価値を高める性格のものが多いといえる。

従って、民事留置権の場合には、留置不動産について担保権実行の競売がなされた場合に買受人が留置権を引き受ける(民執法五九条四項・一八八条)ものとして、結果として先に設定された抵当権に当該留置権が優先することとなったとしても、留置権の被担保債権額相当分だけ当該留置不動産の価値が高まっている場合が多いのであるから、当該抵当権者の期待を著しく損ない公平に反するとまではいえないのである。

3 しかし、他方、商人間の留置権の場合には、留置権の被担保債権と留置目的物との間に牽連性が要求されておらず(商法五二一条本文)、留置権の被担保債権が留置目的物の価値を高める関係にあるとは、法律上いえないのであるから、先に設定された抵当権に当該商人間の留置権者が優先する結果を認めることは、当該抵当権者の期待を著しく害し、全く公平に反する結果となるのである。

すなわち、被担保債権と留置目的物との牽連性を要件としない商人間の留置権の成立が認められてしまうと、例えば、ある建築請負業者が、A建物について一億円の建築請負代金債権を有していた場合、全く別のB建物の建築工事に着手し、これの工事出来高が一〇〇〇万円であったとしても、当該業者はA建物についての一億円の請負代金債権を被担保債権としてB建物の敷地をも留置できる結果となってしまう。

この場合、B建物の敷地の評価額は、B建物とは全く関係のないA建物についての請負代金債権相当分(一億円)減価される結果となってしまい、B建物の敷地を更地として評価して抵当権を設定していた抵当権者の信頼が損われること著しいのである。

抵当権者としては、B建物のみならずそれ以外の建物についての請負代金債権も含めて、B建物の建築業者が抵当権設定者に対して有する請負代金債権総額を把握した上で更地に抵当権を設定するわけではなく、抵当権者の信頼はあくまで担保物件から更地としての評価額分の回収はできるという点にある。しかも、右の例によると、A建物についての工事は、B建物の敷地の価値を全く高めるものでもないにもかかわらず、商人間の留置権によればA建物についての請負代金債権によってB建物の敷地をも留置できる結果となってしまうのである。このような具体的結論の当否を考えれば、先に設定された抵当権に商人間の留置権が優先する結果を認めることは、当該抵当権者の期待を著しく害し、全く公平に反する点で到底認められないことは明らかである。

4 したがって、先に抵当権が設定された本件土地1及び同2上に「建物」の建築工事を実施した吉原組のためには商人間の留置権は成立しないと解すべきである。このように解しても、吉原組としては、工事を始めるまえに工事費用の予算額を登記することにより本件土地について不動産工事の先取特権を取得でき、これにより工事請負代金債権を担保できるのであるから、吉原組を不当に害することにはならない。むしろ、吉原組のために商人間の留置権が成立すると解した場合には、債権者が先に本件土地1及び同2から更地評価の回収ができるものとして本件土地1及び同2について根抵当権を設定したにもかかわらず、自ら干渉できない債務者の行為(建物建築の発注)によって債権者の期待を著しく害する結果となり妥当ではない。

五 土地上の建物の所有権の帰属について

ところで、請負代金につき未払があるような場合には、その建物の所有権を初めから注文主に帰属するというような特約のない限り、通常、当該建物の所有権は建物請負人に帰属することになる(大判大三年一二月二六日民録二〇巻一二〇八頁)。このような場合に、建物請負人にさらにその建物の敷地までも留置する権利まで与えてしまうと、建物請負人を著しく優遇することとなってしまい、かえって利害関係人間の具体的公平を失う結果を招来する。

すなわち、土地上の建物の所有権が建物請負人にある場合に、建物請負人に当該土地について商人間の留置権をも認めると、当該土地が抵当権の実行等により競売された場合、建物請負人は土地の評価額から自らの商事留置権の被担保債権額を控除した金額で当該土地を競落して、当該土地ばかりでなく当該土地上の建物をも取得してしまう結果となってしまうのである。この場合、建物請負人は、当該建物を建築する労力は提供しているが、本来、当該土地と当該土地上の建物を取得するためには、自らの商事留置権の被担保債権額を控除する前の当該土地の評価額を提供しなければならないはずである。にもかかわらず、当該土地について建物請負人のために商事留置権が成立するとの結論をとると、建物請負人は当該土地の評価額から自らの商事留置権の被担保債権額を控除した金額で当該土地を競落して、当該土地ばかりでなく当該土地上の建物をも取得できてしまうのである。この結論が著しく建物請負人を優遇してしまう結果になることは明らかである。

このように、建物請負人にその建物の敷地までも留置する権利まで与えてしまうと、多くの場合、建物請負人を著しく優遇する結果となってしまうのであって、結局、建物請負人にその建物の敷地までも留置する商事留置権を認めることは、具体的な結果の妥当性を失わせることとなる。

したがって、この点からも建物請負人について、その敷地に対する留置権を認めることは適当でないのである。

六 まとめ

以上のとおり、吉原組に商人間の留置権を認めることは、根抵当権者である債権者の担保評価についての期待を著しく害し、他方、建物建築工事請負人である吉原組をあまりにも優遇する結果となって、公平に反するとともに、不動産担保による金融制度の根幹を揺るがす恐れすらあり、しかも、商法五二一条の立法趣旨を逸脱することからすれば、吉原組のためには商人間の留置権が成立しないことは明らかである。

したがって、上記一ないし五のいずれの観点からみても本件において留置権の成立は認められず、その成立を前提とした原決定は取消を免れない。

第三 建物建築請負人のためにその敷地について商人間の留置権が成立したとしても、その留置権については民事執行法第五九条四項の引受主義は適用されず、買受人には引受されない。

一 民事執行法五九条四項の引受主義については、「無制限に留置権を保護することによって、留置権者が占有を取得する以前に成立した抵当権や先取特権を不当に害するおそれがないかが問題となろう。」(福永有利・民事執行法の基本構造[竹下守夫・鈴木正裕編]三五六頁)として、留置権についての無制限の引受主義について疑問視する見解がある。

ただ、この点については、「多くの場合、留置権の被担保債権は共益的性格をもちかつ少額であることを考慮」(竹下守夫・不動産執行法の研究一四一頁)したものと解されている。すなわち、「留置権の被担保債権は多くの場合共益費的性質を持つことを考慮し、すべて買受人に対抗することができ、従って、買受人に引き受けられることになると解すべきであろう。おそらく、通説も、このように解しているものと思われる。」(注解民事執行法(2)二五三頁・第一法規)とされているのである。

とするならば、留置権の被担保債権が留置目的物の価値を高める関係にあるとは到底言えないような場合には、民事執行法五九条四項の引受主義の適用はないと考えるべきである。

二 この点、吉原組が施行し、代金を請求している工事出来高部分は、本件土地1及び同2に造成を施した場合の工事出来高とは明らかに異なり、本件土地1及び同2上に建物を建築しているに過ぎず、当該建物の建築を発注した債務者にとっては格別、客観的にみれば、本件土地の価値を何ら高めるものではない。

したがって、本件においては、吉原組が施行した工事出来高部分は、本件土地1及び同2の価値を何ら高めるものではなく、留置権の被担保債権が留置目的物の価値を高める関係にあるとは到底言えない以上、仮に吉原組に商人間の留置権が発生したとしても、右商人間の留置権は民事執行法五九条四項によって買受人に引受されないというべきである。

三 したがって、商人間の留置権が買受人に引き受けされることを前提とした原決定は取消を免れない。

第四 原決定は、本件において吉原組のために商人間の留置権が成立し、それが買受人の引受となることを前提として、引受となる留置権の被担保債権額を金一九〇、〇六〇、〇〇〇円とするが、原決定が法令解釈を誤り、あるいは事実誤認をしていることは、以下のとおり明らかである。

そして、引受となる留置権の被担保債権額が、本件土地1及び同2の評価額である金九〇、〇二〇、〇〇〇円を下回ることは以下のとおり明らかであるから、本件土地1及び同2について無剰余を理由として本件競売手続を取り消した原決定は違法である。

一 すなわち、まず、仮に吉原組について商人間の留置権が成立し、買受人に引受されるとしても、本件土地1及び同2の根抵当権者である債権者の担保評価についての期待と公平の原則に鑑みれば、引受となる留置権の被担保債権の範囲は本件留置目的物の価値を高める関係にある請負債権部分に限られるというべきである。

そして、吉原組による工事出来高部分のうち、本件土地1及び同2の価値を高める関係にあるものは、唯一、整地についての工事であるが、この整地費用の金額が本件土地1及び同2の最低売却価格金九〇、〇二〇、〇〇〇円を下回ることは明らかであるから、引受となる留置権の被担保債権額を金一九〇、〇六〇、〇〇〇円として本件土地1及び同2について最低売却価額を金〇円とした原決定は違法である。

二 次に、本件において原決定が引受となると判断した留置権の被担保債権額には、本件請負工事の出来高といえないものが含まれており、これらを控除すれば本件土地1及び同2の最低売却価額が金〇円を超えることは明らかである。

すなわち、債権者が債務者から交付を受けた吉原組の作成にかかる出来高調書(別添資料5)によると次のことが明らかである。

1 第一に、出来高調書一枚目No.Bの「建築工事」については、その累計出来高が七九、一〇〇、〇〇〇円となっている。そして、その内訳は、出来高調書二枚目の表の第六項目の「鉄筋工事」の欄をみると、累計出来高一、五九〇、〇〇〇円は「材料のみ」と記載されており、単に材料の手配がすんでいるにすぎず、未だ本件土地・建物に関する工事として施工されていないことが明らかである。また、第七項目の「鉄骨工事」の欄を見ると「加工完了」となっているのみで「運搬・建方残り」とされており、これも鉄骨の手配がなされただけであって、本件土地建物に関する工事として施行されていないことが明らかである。

また、以上の事実は、現実の工事施行状況に関する吉原組の平成六年二月一日付け意見書の記述にも符合し、間違いのないところである。

そうであるならば、吉原組が出来高と主張している「鉄筋工事」および「鉄骨工事」については、単に材料の手配が済んだのみであって、現にこれらの材料がなお吉原組の手配があるのか、あるいは単に転用されてるのかも不明であるばかりでなく、およそ、本件土地建物に関する工事として施行されて出来高となっていないことは明らかである。

同様に、建築工事のうちALC工事及び金属建具工事についても単に「割付図作成」あるいは「施工図作成」の段階にすぎず、本件土地、建物に関する工事として施行されていないことは明らかである。

2 第二に、出来高調書一枚目No.Cの「電気設備工事」及び同No.Dの「給排水衛生工事」については、平成三年三月一五日における累計出来高はそれぞれ電気設備工事が一〇〇、〇〇〇円、給排水衛生工事が六五〇、〇〇〇円となっている。しかし、その内訳は、出来高調書一枚目の各欄によれば、電気設備工事については「施行図一部」と記載され、また給排水衛生工事については「ガス、水道申請、スリーブ図」と記載されており、本件土地、建物に関する工事として施行されていないことは明らかである。

平成六年二月一日付吉原組による「債権者上申書に対する意見書」によれば、吉原組は、「吉原組が施行し、代金を請求している工事出来高部分は、旧建物の解体工事、建物建築に先立つ行われる地質調査、整地、杭打ち、工事に必要な電気設備の設置等、土地の面から見ても、共益費的性格の強いたものだからである」旨主張しているが、本件の電気設備工事が本件土地・建物に関する工事として施行されていない以上、土地の面から見て共益費的性格を有するはずもないのである。

3 第三に、出来高調書一枚目No.Hの「諸経費」については、累計出来高は七、六八一、五〇〇円と記載されているが、これがいかなる根拠に基づいて本件土地・建物に関する工事としての出来高となるのか全く不明である。本来、工事に関する経費であれば各工事ごとの出来高に含まれるべきであり、右諸経費は出来高とは到底言えないものを吉原組が立場を利用して出来高に含めたものと考えられる。

4 以上のとおり、本件において原判決が引受となると判断した留置権の被担保債権額には、本件請負工事の出来高といえないものが含まれていることは、明らかである。それらを控除すれば、吉原組による工事出来高部分は金三〇、三七二、一四四円にすぎず、本件土地1及び同2の評価額金九〇、〇二〇、〇〇〇円を越えるものでないことは明らかであるから、本件土地1及び同2の最低売却価額を金〇円として本件競売手続を無剰余を理由として取り消した原決定は違法である。

別紙物件目録

1 所在 台東区日本堤二丁目

地番 一三三番九

地目 宅地

地積 30.57m2

2 所在 台東区日本堤二丁目

地番 一三三番一〇

地目 宅地

地積 55.99m2

3 所在 台東区日本堤二丁目一三三番地九

家屋番号 一三三番九

種類 店舗・居宅

構造 鉄骨造陸屋根三階建

床面積 一階 23.25平方メートル

二階 24.42平方メートル

三階 24.42平方メートル

4 所在 台東区日本堤二丁目一三三番地一〇

家屋番号 一三三番一〇

種類 居宅

構造 木造瓦葺二階建

床面積 一階 52.13平方メートル

二階 52.13平方メートル

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